コラム 映画

「映画好き」の定義は人それぞれ。僕は同じ映画を繰り返し堪能する派だよ、っていう話。

久々にコラムチックな記事を更新。ツイッターで見かけたホットなテーマ(ex. 「奢り奢られ論争」)について書こうと思ったのですが、毒舌レベルがK点越えをしそうな勢いだったので、今回は穏やかなテーマを選定することにします。

 

まず、少し気になるツイートを発見。

 

私はたくさんの作品を観るよりも大好きな作品を長く深く何度も味わいたいけど、たくさんの作品を観るのが好きな人もいるし、どっちも素敵だよね。それを、名作なのにまだ観てないの?笑 とか、全然観てないのにそれって映画好きって言えるの?みたいなこと言われるのは悲しい

 

この方に批判的な意見を言う人はおそらく、「映画好きを自称し、映画情報を発信する立場なら大量の映画を観て膨大な知識を網羅するのが当然だろ」という気持ちが根底にあるのだと思います。

 

まぁ、映画コメンテーター的な立ち位置であればそういった意見も一理ありますが、僕からすると「映画好きでも量を重視するか、質を重視するかで立場が違うだろ。価値観を押し付けんなよ」の一択です。

 

「映画好き」でも好きな映画のジャンルは異なるし、どういう物語構造が好きなのか、どういうテーマの題材が好きなのか、によって観る映画は自ずと違ってきます。僕も昔は強いヒーローが強い敵をボッコボコにする分かりやすいアクション映画が好きでしたが、今は異なります。

 

もちろん、脳ミソを酷使しなくても気軽に観られるアクション映画(ex.キアヌ・リーブスの「ジョン・ウィック」シリーズなど)もたまに観ますが、基本的には本格的な社会派映画を好みます。昔で言うと、伊丹十三作品。伊丹作品は大好きで、ほぼ全部の作品を観ました。中でも好きなのは「マルサの女12」「ミンボーの女」「スーパーの女」「マルタイの女」です。

 

 

残念ながら動画配信されていないので、現物をレンタルするか、Blu-rayを買うしかありません(この記事を書いている最中にBlu-ray購入できることを知ったので、後ほど爆買いするかもしれません)。

 

とまぁ、これらの作品はどれも数えきれないほど観ています。伊丹作品は他の監督作品とは毛色が異なるので、ある種の中毒性があります。あの独特のストーリー展開、音楽、名優宮本信子の怪演。

 

邦画以外にも洋画も好きで、監督でいえばクリストファー・ノーラン。ノーラン作品では「インセプション」「インターステラー」は何度も観ています。特に「インセプション」は相手の夢の中(時に夢の夢の中)に入り込み、アイデアを盗んだり、アイデアを意識の核となる部分に植え付けたりするという話で、「夢から覚めた現実は本当に現実なのか?」というテーマもあり、非常に興味深い内容です。

 

 

こんな風に一つの作品であっても、繰り返し観るに値する映画はたくさんあり、それを気分によって選択し、何度も観るという行為も立派な「映画好き」と言えると僕は思います。例えば本も同様で、たくさんの作品を手に取り、量を積み上げていく人も「本好き」であり、一人の作家の作品を好んで何度も読むのも「本好き」です。

 

「映画好き」と言うと、途端に量を重視した意見を言う人がいますが、僕から見るとナンセンス。言葉悪く言うと、「うるせーバーカ」です。ある特定の監督やジャンルに限定して映画を好むのも立派な「映画好き」。「本好き」と全く同じです。

 

まぁ、こういう風に「映画好き」にも量を重視するか、質を重視するかによって立ち位置は異なってくるので、「映画好きならこうあるべきだ」というのは余計なお世話というわけです。「映画好き」にもグラデーションがあり、「観たい作品を観たいときに観たいように観る」も「映画好き」です。明確な定義づけをすること自体が無粋なのです。

 

 

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Mr.Kabusky

『Kabusky BLOG』の管理人 / このブログでは株式投資の初心者の方を想定読者に、分かりやすく役に立つ情報を提供する予定です。 メインは株式投資についてですが、気まぐれに様々なジャンルの記事もアップするつもりです。

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