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まず結論から言うと、
「無理に自己肯定感を高める必要はない。自己肯定感が低いなら、それを素直に受け入れること。そうすれば、逆説的に自己肯定感は高まっていく」
です。
ツイッターを見ると、「自己肯定感を爆上げするライフハック」と称するツイートが氾濫しています。秒で思いつくような習慣を羅列し、文章の最後にプロフに誘導するツイートを見るたびに、「クソくだらねぇな、失せろ」と思っている訳ですが、そもそも140字以内に収まる文章を参考にする程度で自己肯定感が爆上げしたら苦労はしません。
というか、仮にその程度で「爆上げ」するなら、その人の自己肯定感は既に高いはず。既に高い人間が「ふんふん」と鼻をほじりながら眺める分には価値はありそうですが、それでもその程度の価値しかありません。
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そして、これは断言しますが、ツイートの最後にプロフに誘導する一文を入れるような奴らは総じて大した思想の持ち主ではありません。真剣に参考にする価値は皆無。肥溜めにポイっ、で基本的に問題ないです。
冒頭の話に戻りますが、元々僕は「自己肯定感を高めることが善」という風潮には否定的な立場です。そりゃ、高い方が何かと気分的には楽かもしれませんが、低くても高い人と同じように「肯定的な生活」を送ることはできます。
その為には、冒頭のように「自己肯定感が低いなら、それを素直に受け入れる」という姿勢が大切になります。
そもそも、「自己肯定感が低い」という現象は他人と比較することによって生じます。「あの人に比べて私 or 俺は…」的な思考に陥ると誰しも自然と自己肯定感は低くなります。
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とは言っても、これはもう「人の性」なので仕方ありません。気になるときは気になるので、それを「無」にするのは非現実的。特に上昇志向になっているときは、負の感情が発生しやすい。なので、それを無理に抑えようとする必要はないように思います。
ただ一点。自己肯定感が低くなったり、なりそうなときには「…だって、仕方ないじゃない。人間だもの」という思考だけは持つようにしましょう。これだけでも心持ちはだいぶ変わります。「私 or 俺 なんて…」的な思考で止まると、結構ツラいものがありますから。
逆に「人間だもの」と負の感情を肯定すると、気が楽になり、次の一手を現実的に考えられるようになります。一旦、負の感情を受け入れることで「自己卑下する感情」が緩和されるというわけです。
そうすることで、逆説的に「自己肯定感が高まる」というのが僕の意見です。「自己卑下する感情を緩和する」というのがポイントで、これさえクリアすれば、やるべきことは自然と見えてくるはず。
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例えば、何かしらのコンプレックスを抱いているなら、一旦はそれを受け入れた上で、「現実的にできることは何か?」を考えましょう。仮に「できることは何もない」なら、考えるだけ無駄。現状を冷静に受け入れるというスタンスに切り替えるのです。
現状を冷静に受け入れると、それまで「こうじゃなきゃダメなんだ」というのが「単なる思い込みに過ぎない」ということが分かります。勿論、全てがそうだとは思いませんが、大抵の悩みは「考えすぎ」のケースの方が多い。「人生のレール(=生き方)をどう敷くか?」の決定権はあくまで自分自身にあるということは忘れないようにしましょう。
その際、他人と比較することによって生じる負の感情に対しては「だって人間だもの」と肯定的に捉えてくれる存在、つまり「リトルみつを」を脳内に置きましょう。
「リトルみつを」は緩衝材の役割を果たし、自己卑下する感情を和らげてくれます。ただし、「リトルみつを」が大人数になると逆に自己肯定感が加速度的に低下するおそれがあるので、数人以内に収めるように調整すること。そうすれば、自己肯定感の低下を食い止め、逆説的に自己肯定感は高まっていくはずです。
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